映画『ウィズネイルと僕』


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ブルース・ロビンソン(監督・脚本)

「私は言葉に惹きつけられている」。監督・脚本のブルース・ロビンソンはそう語る。「ハムレットには100回読んでもなお涙する箇所がある。言葉の選び方は誰もが出来るがシェークスピアはそこに感情を上手くのせている。そこに人は惹きつけられるのだ」
言葉に惹きつけられたのは彼が13歳の時に始めてチャールズ・ディケンズの「オリバー・ツイスト」を読んだ頃にさかのぼる。彼が受けた教育といえば実につまらないものだった。彼はぜんそくを煩っていてしばしば学校に通えなかった。そうした病床中の日々に「オリバー・ツイスト」に出会い、彼にとってそれは全く新しい発見となった。彼はその後、貪るように文学を読み漁り、また祖父の古いタイプライターを使って自分でも書き始めた。
それでも卒業後、彼は俳優を勉強するためにセントラル・スクール・オブ・スピーチ・アンド・ドラマに入学する。「私は俳優になりたかったんだ」。彼は説明する。「なぜなら、他の人間になりきった方が自分の言いたいことを表現できると分かったから。学校での演技は楽しかったし自分に向いていると思った。すべきことをしていると感じていた」。
しかし『ウィズネイルと僕』の作曲家で、学校の同期でもあるデイヴィッド・デュンダスは彼はいつでも脚本家だったと指摘する。演劇学校にいる間も、心から楽しむことはなかった俳優生活の間も、彼はひたすら書き続け、それは成功したのだ。彼は多くの舞台に立ち、数多くの映画にも出演した。
「全ては勉強だったんだ」ロビンソンは言う。「他の人間になりきって台詞を言うのは私がやりたいことではなかったし、避けたいということが分かったんだ。というのもシナリオを読んでいて"この台詞は真実を伝えていない"なんて批評することを自分自身で止められなかったから。それでは駄目だと分かるよね」。
彼はこうも言う。「私はいつも、最初は小説を書いていた。でも技術を学ばなければならなかったからとても下手だった。誰かが読んでくれて出版できるまで10年かかった。でも1973年頃になるとはシナリオが売れてきて、実際俳優よりも脚本の方で稼いでいたんだ」。
1975年、彼は俳優の道を諦めた。しかし、彼の脚本がスクリーンに登場するのに10年はかからなかった。普通の映画会社の気まぐれな人たちや影響力をもつ脚本家は必ずしも映画化されなくても君は生きていけると言ったものだ。
『キリング・フィールド』は4本目の脚本で、デヴィッド・パットナムによって製作されたロビンソンにとって初めての映画であり、またこの作品でアカデミー脚本賞にノミネートされ、英国アカデミー賞脚色賞獲得という成功を収めた。ロビンソンが私的な映画である『ウィズネイルと僕』を監督するのは自然な流れだった。
ロビンソンは"監督"というのを嫌った。「全ての映画は共同作業だ」。彼は強調する。「ピーター・ハナンのライティングやボブ・スミスのカメラ・オペレーションで大変な撮影の時でも美しい絵画のようになった。マイケル・ピックワードの美術は私がイメージしていた正にそのものだった。プロデューサーのポール(・ヘラー)はデヴィッド(・ウィムベリー)の助けを借りて実に素晴らしい仕事ぶりだった。そして俳優だ。私はポール・マッギャンとリチャード・E・グラントに敬意を表す。彼らは才能溢れ、スクリーン上でも実に素晴らしかった」。
『ウィズネイルと僕』の後、ロビンソンは同じくリチャード・E・グラントを起用して広告業界の裏側をブラックコメディで描いた『広告業界で成功する方法』を監督・脚本している。さらに『ジェニファー8(エイト)』ではアンディ・ガルシア、『シャドー・メーカーズ』ではポール・ニューマンと仕事をしている。また2011年にはこの『ウィズネイルと僕』の大ファンと公言してやまないジョニー・デップからの熱烈なオファーに応え、米国のジャーナリストであるハンター・S・トンプソンの自伝小説を原作とした『ラム・ダイアリー』を監督・脚本した。

ポール・ヘラー/ポール・M・ヘラー(製作)

ポール・ヘラーにとって『ウィズネイルと僕』を製作することは自然の流れだった。なぜならほとんどの時間をイギリスで過ごしているからだ。彼の家は映画や演劇のメンバーで何年も賑わっていて、お気に入りの記念品でいっぱいだった。
1962年にプロデュースした『リサの瞳のなかに』で映画界で地位を確立する。この作品は監督賞と脚色賞の2部門でアカデミー賞にノミネートされ、ヴェネチア国際映画祭や英国アカデミー賞といった世界の映画祭で受賞している。
1973年、ヘラーはSequonia Picturesを設立する。最初の作品はあの『燃えよドラゴン』で、ハリウッドにおける格闘技ジャンルを確立し、ブルース・リーを全世界に紹介したことでも知られている。

デイヴィッド・デュンダス(音楽)

デイヴィッド・デュンダスは英国の伝統的なハーロー校で教育を受け、セントラル・スクール・オブ・スピーチ・アンド・ドラマで演技を学ぶ。ブルース・ロビンソンと同様、短いながらも俳優生活を送るが、同じ時期に違う分野へと進んでいく。「私は舞台に興味があった」。彼は言う。「でもしばらくして舞台で演じることよりも音楽に興味があることに気づいたんだ」。
演技学校をやめてすぐ、「Prudence and the Pill」「Mosquito Squadron」に参加。その後2年間、テレビの仕事に従事した後、ロイヤル・シェイクスピア・カンパニーに参加する。
「2歳の頃から私はピアノを弾いていて、音楽の仕事をしたいと決めたんだ」。彼は友人のためにジングルを作曲し、そして今やイギリスでは最高のテレビコマーシャルの作曲家の地位を確立している。何百枚ものレコードを販売し、レコーディングスタジオも創設している。『ウィズネイルと僕』は彼の初めての作品である。

ハンドメイド・フィルムズ(制作)

ハンドメイド・フィルムズは元ザ・ビートルズのジョージ・ハリスンとデニス・オブライエンによって独立系映画製作会社として1978年に設立された。
イエス・キリストをパロディとして扱った事からメジャー系制作会社が手を引いた、モンティ・パイソンの『ライフ・オブ・ブライアン』を初の作品として1979年に世界に発表して以来、ハンドメイドは幸運な道を歩み続けており、1980年代の独立系製作会社の中で最も多作であった。
1994年8月、パラゴン・エンターテイメントが、ハンドメイド・フィルムズと共に所有する23作品を買収した。パラゴン・エンターテイメントはトロント証券取引所に上場する会社で、主にテレビ番組制作と、製作に関わった長編映画の配給を行っている。ハンドメイドの評判は映画マーケットで作品が売られるにつれて高まっていき、瞬く間に商業ベースにのっていった。
会社の方針は常に斬新であれ。そしてプロデューサーであれディレクター、脚本家、俳優であれ創造性豊かな才能をもつ集団であることである。この方針でハンドメイドは年間2~3作品制作している。ここ最近のヒット作としてはガイ・リッチー監督『ロック、ストック&トゥー・スモーキング・バレルズ』(1998)、ダニー・ボイル監督『127時間』(2010)など。


5/3(土)~5/31(土)
吉祥寺バウスシアターにてクロージング上映!