映画『ウィズネイルと僕』


DIRECTOR'S NOTE

製作10周年記念リマスター版公開時の
ブルース・ロビンソン監督による手記

『ウィズネイルと僕』の全てについて書くのは恐らくこれが最後になるだろう。上手くいかなかった時のことを考えて、要点だけ言っておこう。私はこのリマスター版を親友であるヴィヴィアンに捧げる。
1966年から1976年頃まで私は日記をつけていて、そこにはヴィヴィアンと私の日々が綴られている。彼とは1964年、俳優学校に入学した時に出会った。青のスーツとサングラスに身をつつんだ彼は、まるでマーロン・ブランドのようだった。誰もが彼はスターになるだろうと思っていた。会って10分もしない内に私は彼の親友となった---他の誰もがそうであったように。誰もがヴィヴィアンを愛していた。悪い役者ではなかった(学校卒業後、ほとんど仕事は無かったけど)し、悪い作家でもなかった(彼が何を書いていたのか覚えていないけど)。実際、もし役者、作家として成功していたとしても面白いことは無かっただろう。ヴィヴィアンが素晴らしいのは彼が彼自身であったからだ。それが彼の才能であり、出会う者全てが彼に圧倒されていた。彼のあだ名は「棘(とげ)」や「犯罪」だった。その由来は知らないが、後に1日中パブに入り浸る能力や自分が飲み代を支払う番になるといつも姿をくらますことで分かった、「"犯罪"は割に合わないものだ」だ。しかし誰も気にしなかった。彼と居るだけでそれだけの価値があったから。
『ウィズネイルと僕』にはヴィヴィアンの台詞はないけれども、どの台詞にも彼の言葉がちりばめられている。ヴィヴィアンがいなければこの物語は決して書けなかった。そして出来ることと言えば黄色くなったセロハンテープで雛菊が張り付けられたこの古い日記を読み返し、あの頃を振り返ることだった。着想を得るずっと前からヴィヴィアンと私は『ウィズネイルと僕』に生き続けていた。だから私は台所のテーブルに座り、書こうと決めたのだ。

1975年4月16日
2年ぶりにヴィヴィアンと会った。外見は変わっていたが中身は相変わらずだった。「Scotch before breakfast」だ。彼は朝飯を食べない。そして彼の飲み方は死に向かっていた。「もし神がいたら、なぜつまらない奴らがのらりくらりできるんだ?」と彼は言った。「君の言うとおりだ」私は答えた。

1970年1月16日
ヴィヴィアンが戻ってきて保守党に参加しようと誘ってきた。「なぜ?」と聞くと「シェリー酒が飲めるからさ」と彼は答えた。(どうもビル・トゥコックスという会計士と出会い、そそのかされたらしい)その夜、我々はスーツを着てプリムローズ・ヒルへと向かった。保守党は半地下にあり6人の女性がいて壁にはマックミランの写真が飾ってあった。滑稽なアクセントでしゃべる中古のサーブに乗ったある女性は私たちに票集めをさせたがったようだが(私たちは出来ると言ったのに)、シェリー酒が全く飲めなかったため、私たちはそのくそチラシを生垣に投げ捨てた。

1969年4月30日
ヴィヴィアンと私はスーツを着てサザビーズにあるワイン試飲会に出かけた。この時我々は入れなかった。緑の帽子をかぶった奴が我々を入れるのを拒んだ。「ワインの試飲に来ただけさ」「お前らくそったれは早く立ち去れ」彼は言った。彼は明らかに前回の試飲会から私たちのことを覚えていて、入れなったことで私たちはひどく落ち込んだ。ササビーズは街で最も素晴らしいワインをただで飲める場所のひとつであった。

その夜、リージェンツ・パークに狼を見に行った。何度その公園に行って狼を見たことだろう。そして私はヴィヴィアンが死ぬことが信じられなかった。彼は喉頭がんにかかっていてほとんど声が出なかった。いつも、これまで会った中で最も臆病者だと思ってた奴が、知り得る限り最も勇ましい奴になったのだ。君が死にゆく時、もうほとんど笑うことは出来なかったが、私はいつも君が笑っていたことを忘れない。その寂しげで輝いていてほろ苦い君の笑顔を。さようなら、最愛の友よ。この作品は永遠に君のものだ。そしてもし天国にパブがあるのならば、私は知っている。君はそこにいるだろう。そしてキーツが君に酒をおごっているのだろう。
B.R.1995


5/3(土)~5/31(土)
吉祥寺バウスシアターにてクロージング上映!